真言宗は、弘法大師(空海)の立教開宗による、仏教の心髄の教えを説く密教(みっきょう)の宗派です。密教は弘法大師によって、平安時代の初めに中国から日本に伝えられ、真言密教(しんごんみっきょう)ともよばれます。
密教の根本となる本尊は「大日如来」(だいにちにょらい)です。大日如来は、宇宙の真理そのものを意味します。簡単に言い換えれば、この世のすべてのものには「いのち」が宿っており、その「いのち」こそが大日如来であるということです。それは、仏様は遥か彼方、遠い存在にあるのではなく、いつでも、どこにでも存在しているということを意味します。
弘法大師はこの真理を知ることにより、いかなる者であっても仏と成ることができる「即身成仏」(そくしんじょうぶつ)という教えを説かれました。「この身のままで仏と成る」ことができるという意味です。
宇宙の全てのものが、大日如来の「いのち」の顕れとして平等であり、相互に助け合うことによって、その「いのち」を生かし、すばらしい個性を発揮することで、「いのち」を生かされているという「感謝」の認識だけではなく、その「いのち」をどう生かしていくかということを説く、「実践的」な教えなのです。
弘法大師は、774年(宝亀5年)6月15日、讃岐国多度郡、現在の香川県善通寺市に生ました。父は地方官(国造)である佐伯田公(さえきのたぎみ)母は阿刀家の出である玉依御前(たまよりごぜん)で、幼少のときの名を真魚(まを)といいました。
弘法大師は15歳で京の都に上京し、18歳の時に大学に入学し、中国の哲学や思想を学びます。高い志を持った弘法大師はやがて立身出世を目的とした当時の大学の学問に疑問を感じるようになり大学を中退します。
24歳の時に著した『三教指帰(さんごうしいき)』において、仏教が最も優れた教えであることを記され仏教への思いを強めます。
そして、各地の山々をはじめ大自然の中での修行を続ける中、ある時大和国、現在の奈良県久米寺の東塔で「密教」を説いた『大日経(だいにちきょう)』を知ることとなります。当時の日本には、密教の教えが広まっていないのと同時に、密教に対する疑問を投げかけることのできる僧はいませんでした。しかし、密教の教えにこそ自らが求めている道があることを確信した弘法大師は、密教の真髄を求め804年(延暦23年)、唐の都である長安へ入唐(にっとう)することを決意します。
留学生の立場として長安に入った弘法大師は、密教の教えを正統に受け継ぐ僧である青龍寺(しょうりゅうじ)の恵果和尚(けいかかしょう)に巡り会います。恵果和尚は、「東より才能に溢れた人物が必ずやって来る」ことが分かっていたこと、その人物こそが弘法大師自身であることを告げました。そして、弘法大師に脈々と受け継がれてきた密教の秘法を、器の水を一滴も残らず注ぐかのように伝授します。そして一刻も早く日本に戻り、密教の教えによって多くの人々を救うことを託されます。
日本に戻った弘法大師は、真言宗を立教開宗し、修行の道場である高野山(和歌山)、勉学の道場である京都の教王護国寺(東寺)を2大拠点として積極的に活躍します。その活動は、密教の教えを広く伝えることは勿論、建築、書をはじめ多岐にわたりその類まれなる才能を生かした活躍を果たします。
そして835年(承和2年)3月21日、高野山・奥の院において62歳の入定(にゅうじょう)されるのです。
未来永劫に渡って衆生(しゅじょう:生きとし生けるもの)を救済すると誓願された弘法大師の強い意志を象徴するように、「お大師さまとともに」という真言檀信徒の皆様をはじめ、日本をはじめ世界の多くの人々の心の中で今もなお生きつづけておられるのです。
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